日々の心模様
移りゆく心の模様を書き留めるぺえじ。 人の心は混じり合って複雑に。 ――いつかあなたも交わるでしょう――
お知らせ

世の中便利になってくると、いろんな通信手段が発達し、インターネツト、携帯通信等で何処でも情報が得られ、かつ発信も出来る。
しかしこの便利な通信手段も悪意を持って使用すれば凶器にもなる。

このホームページは私個人の心の内側を誠意を持って書いていたつもりだが、世の中軽薄短小が持て囃されている今となってはコロコロ(ころろ)と変る心模様など必要ないかもしれない。

当分の間心模様はお休みします、やめた!!という訳では有りません。

このページにおける誹謗中傷はお店には何の関係もありません。
(とろとろレストランだの、殺人者の味方をする人間だの)

今後は、(店の宣伝ホームページに)マスターの独り言として、コラムを書いていきます。
(友達が、無料で作ってくれましたありがたく感謝です)http://woodbell.web-makati.com/
このホームページは約2年で1500アクセス、現在お店のホームページには3月14日からの掲載で
2000以上アクセスが有り、すごいなー!!やはりプロの作る物はすごいなーと感心しています。
PCの事に関しては、マニラでしたら、PCヘルプさんが一番良い!!お勧めです!!
しかし内容としてはチョッと軽薄な感じもしますが軽い物になってます。
あくまでコマーシャルですので、見たり、聞いたりを、面白おかしく紹介する物であり
誠実さには少々欠けるものになると思います。


セスナへの免許取得体験記(現在進行形)は、アンギレス、クラーク、フライングクラブ
のホームページにhttp://flyingclub.blog98.fc2.com/ 引きつずき掲載します。
このクラブの自称事務局長さんが作ってくれたホームページ現在会員6名もちろん私も会員です。
(飛行機好きの友達が集まって仲間を増やしたいのでそこに投稿します)
興味のある方わぜひお友達の輪に入ってください。(仲間参加無料)


山越え 4−1)
やはり、少し雲がかかってますね!!でも今回は、高度7500位での山越えで良いでしょう、とKさんの声が掛かる。
あいも、変らず、エンジンの快調な音と、快適な空の旅は続く、眼下に、山脈の頂上近くにある湖が、見えてきた イヤー美しい。
既に、水平飛行に入り、快調、快調、なんか少し眠たくなってきた、うとうとの状態で気分も良い。
しかし、突然前方に厚い雲の層、回避を試みるも、大きすぎて避けきれないと判断したKさんが、雲の中に入ります!!。
通り抜けるのに、そう時間はかからないと思います、高度を保ち、慌てないで冷静に行きましょうと声が掛かる。
緊張が走る、雲の中に入ったとたん、360度、何も見えない、雨が、突然フロントグラスをたたきつける!!
ザーと音がする、エンジン音が少し変化し、翼も雨に洗われ、しづくが飛び跳ねる、気が気でない!!ゆれもつづく。
怖〜いと感じる!!機長のNSさんも、私の顔を振り返る、大丈夫と目で合図をくれているのであろう??
機体がグワーングワーンと揺れる、精神的に生きた心地がしない、背筋がゾクゾク、体全体、カチカチに力が入る。
何分かかったのだろう? 解からないが 抜けた!!雲が徐々に薄れてゆく。
目の下一杯に、綿菓子のような雲の白い層、ふんわり浮いて美しい。
3人の顔が笑顔に戻る!!チョッと怖かったね、強がりが先行する私。
今回は、まだ揺れも、雨も、あまり多くは無かったが、雲の中は、危険が一杯ですので、なるべく避けた方が正解です!とKさんのお言葉。
もつと、揺れも、雨も、ひどい時を経験していますが、今日は少なくてよかったですね、とNSさん。
雲が薄れて、下のほうが見通せるようになってきた、陸地に続き、海の上を飛んでいる、海は青く光っている美しい光景だ。
目指すジョマリン島が見えてきた、グリーンの木々に囲まれた小さな島だ。
目印の赤い丸いテントが見えてきたタワーも見える、着陸態勢に入ったが、草地に囲まれどこがセンター?(滑走路の真ん中)か?
わからない、草を食べている牛の姿も見える、障害物が無いか確認を行い、もう一度旋回し着陸へと体勢を立て直しトライ。
がたがたの滑走路を172は降りた、子供達が集まりだし、大人も混じって出迎えてくれた。
多分私達は、きっとここの人たちにとっては宇宙人に見えるのだろう、知らない言葉を話し毎月1度か2度、空の上から翼に乗って舞い降り、現れる、知らない異邦人、しかしそんな私達を笑顔で出迎えてくれる島民。
島に1軒しかないホテルに案内してくれた、赤い屋根の平屋建て普通の民家のようだが、1泊500ペソという後でシャワーを借りるという事で、早速、自然の残る、島の先端におよぎに出かけた。


私の飛行日誌 4)
落ち込んでいる私に、Kさんが元気付けてくれた。
私だって、始めのころは着陸に失敗し、滑走路をはずして着陸し、インストラクターにどやされた、お前死にたいのか!!と。
恥ずかしい話、いまだかって滑走路をはずして降りたのは私だけだそうです!。
誰だって一度や二度は、パニックになります気を落とさず頑張ってください、そうそう今日3月19日NSさんがやって来ます。
彼も、なかなか、免許の更新書き換えがうまく行かず、セスナ172の、時間数をクリヤ出来るように飛びにやって来ます。
また楽しくやりましょう!
せっかく、いろいろな体験話をしてくださるが、まだ前回の恐怖が、頭にこびり付いていて、飛行にトライする勇気が出ない。
そんな時、NSさんが元気な姿を見せた、こんにちは!!お久しぶりです、とさわやかな笑顔で現れた。
Sさん、どうですか?進みぐわいは、と聞かれ、ここ数日間で起きた出来事や、飛行練習の時の恐怖、その他を、包み隠さず話した。
それは、それは大変でしたね!でも私にも何度か経験があります、心配ないですその内になれます。
5回目の飛行までは、私も飛ぶのが怖くて、学校え行く足が重たくて仕方が無いと言う経験を持っています。
”人それぞれいろんな経験をされているのだという事も段々解かってきた。
どうです!あさってKさんと私とで、ジョマリン島まで飛びますが、一緒に行きませんか?
小さな飛行場で、草地の滑走路ですが、手付かずの自然と、きれいな海岸線にホワイトサンド、そして美しい海が有ります。
山脈越えの為、高度7500フィイトで約1時間30分ぐらいで到着します、4人乗りなのでパッセンジャーとして乗り込んでください。
色いろ参考になると思いますよ!と誘われ、では、ぜひご一緒にと!行く事を決めた。
当日の朝7時に、ホテルまで迎えにいった、やはり日本人です、7時ジャスト全員がそろいオムニの飛行場へ向かった。
当日、少し雲がかかり、最良の飛行日和とは行かないまでも晴れ、天候を確認し、飛行機のチエックをはじめた。
ガソリン満タン、オイル良し、では出発しましょうと、インストラクターのKさんの声が掛かり、セスナ
172の後部座席に便乗した。
3人の飛行が始まる、離陸も快適、高度7500フィトまで、ゆっくりとあがる少し安心。
いつも練習飛行で飛ぶ、アライヤット山の、ふもと付近のエリヤが下に見える。
あの山のふもとの田んぼの上で、いつも練習しているだなー!なんて改めて感心している。
ベテランの操縦とはいえ、少し不安も持っていた、が!飛行は、順調、空は快適。
あーあーなんだプロペラが廻っている間は、飛行機てのは、落ちないんだ!!なんて感じがしてきて、少し余裕が持てた。

私の飛行日誌 3)
今日の飛行訓練はさんざんだった!
なれない機長に、早口の英語,2回目と言えど、上がってしまってうまく返事が出来ない。
滑走の練習も無いまま、即ランデングエリヤに入りそのままテイクオフ。
寿命が3年ちじまった。
もう少しで失速して遭えなく草むらに突っ込む所であった。
プタ、ゲナ、モ、バカかお前は、と罵声が飛ぶ、テイクオフの時、飛び上がるとは思わず、パワーアップをしなければならない時にスロットルを引きパワーダウンさせてしまったのだ。
インストラクターの機転により、何とか救われたが、もう心臓がなりっぱなし。
その失敗のせいか、次の訓練が,パニック状態,レフトターンも,ライトターンも,水平飛行も,もう完全に上の空。
操縦桿を握るのさえ怖い。
本当にこんな事ってあるんだと(頭が真っ白な状態で、何も考えられない、やる事がわからない)初めてこの年になって経験した。
憧れの世界は、恐怖と裏腹にあることを学んだ。
話では聞かされていた雲の中に入ってしまい右も左も解からず、パニックに陥り恐怖の時間を過ごしただとか!
エンジンが止まってパニクッタ(頭が真っ白になったとか)体験談もさることながら
今回、自分が体験してしまった!!
離陸6時45分、着陸8時25分、無我夢中で、飛んで過ぎた1時間30分であった。
着陸後、我に帰った私は、丁重にお詫びをキャプテンに伝え、オフィイスに引き返した。
キャプテンの、今日、私とのフライト日誌には、何と書かれているのだろう?
きつと、馬鹿な日本人が、とんでもない事をして、事故を起こしそうになった。
とでも書かれていることだろう!!
やはり言葉の解かる同じ日本人のインストラクターに同乗して欲しいと思う気持ちが強くなった。
早くKさんの免許が書き換えられて来ないかと期待しています。


私の飛行日誌 2)
本日、曇り時々少量のにわか雨という気象条件の中、3時にインストラクターのKさんと待ち合わせをしてオムニに向かう。
バイクにまたがり意気揚々と出かけた、しかし今日もキャンセルの公算が出てきた。
雲が多く、少量ではあるが、にわか雨も降り出す始末、多分大丈夫のだろうと、Kさんが言う。
4時のフライトが天候の為少し遅れると言う、でも!!フライトプランは、書き上げて、キャプテンの登場を待った。
またそこで、オムニのマネージャのコウラさんがやって来て、ミスターSさん今日は、ジョセフさんが都合により来られません。
ですので、新しいキャプテンを紹介します!、今日のフライトは、キャプテン ボッドが、担当します。
エー!!そんな話は聞いて無いよー!!チョッとびっくりしたがそれも仕方ないと諦め、フライトコンディションの回復を待った。
4時30分やっとOKが出た。
早速飛行機の点検に取り掛かり、チェックが終わるのをまってキャプテンが早速の乗り込む。
エンジン始動、発進用の点検をし、ランデングサークルまでのヨチヨチ歩き、スロットル全開のテストが続く。
いよいよ滑走路に入る。
プロペラが2500以上の高速回転となる!真直ぐ直線コ−スに進入、操縦桿をグーイと引く、ふわっと機体が中に浮く。
と、、飛んだ!!どんな感じか!何かゴムボートに乗ったときのような感じに襲われる。
いや水の上じゃない空気の海に乗った感触だ!!ずーッと飛行機は上昇をつづける!!雲とセスナのノーズしか見えない。
でも今飛んでいる、という感触だけはお尻の下に感じる。
2500フィート、水平飛行に入る、やっと前が見えてきた、地平線に鼻先を向けウイングレベルとインストラクターの指示が飛ぶ。
肩に力が入りすぎ、操縦桿を握る左手腕が痛い、右旋回、左旋回、スロットルの回転数を上げて操縦桿を引け!と声が飛ぶ。
飛行機が傾く度にひゃ汗が出る。
リラックス、リラックスキャプテンの声も、今わむなしく響く、周位の景色を楽しむ余裕など今は少しも無い。
目に入るのは、前に山がある、下は田んぼが広がっている!てなもんである。
1500フィートまで降りろとの指示で、操縦桿を押す、もっとスローに!!キャプテンの声がする!!
何か、真っ逆さまに落ちていくみたいな気がした、はーあ〜とため息が洩れる。
アーユウ−ナーバス、ユーOK ドントウォ−リ!!心配ない、大丈夫と声を掛けてくれるが、生きた心地もしない。
さーあ帰りましょう!もう一度高度を1500まで落とし、高速道路が見えてきたらそれに沿って飛んでください。
左手にオレンジの屋根が見えてきたら、左旋回オムニの滑走路が見えますか?イエース キャプテン!!
では、フラップを降ろし、エンジン回転を1700まで落としたら、フラップをもう一段落とし着陸体制に入ます。
機体はゆっくりと速度を落としフワーッと風に乗った、良く覚えていない!!
どーんと鈍い音がして、機体は地上に降りた。
軽くブレーキを3回エンジン回転を落とし駐機場所に戻る。
最後の点検確認を行いエンジンを切った。
深いため息をして、地上に戻れた事を喜んだ、初めてのフライトであった!!。


私の飛行日誌 1)
3月14日私の初フライトの日がやって来た。
朝4時におきて、準備を始めた、いつもの手順で顔を洗い、歯を磨き、服を着て、あらかじめ外に止めてある車に乗り込む。
未だ外は暗い、前もって頼んでおいたインストラクターのKさんを迎えにホテルまでいった。
約束の5分前に彼は現れ、車に乗り込む、車はオムニに向かい、まだ暗い道を走り出す。
でも案の定、オムニのオフィイスに電気は、ついていない。
(フライトの生徒があるのにちょっといい加減)
メカニックの人に声を掛け、オフィスの鍵を開けてもらい中に入るが、クラーク飛行場の無線タワーの信号は未だ夜間用の白と青の点滅で、全ての飛行機の発進が出来ない状態であった。
しかし空は白々と朝焼けになりつつある。
そんな中、整備士により、セスナの始発点検のエンジン音が響きだす。
さあいよいよだと気持ちを引き締め、フライトスケジュールを書き始める。
そんな準備をしていると、本日の私のインストラクター、キャプテンジョセフが顔を出した、グットモーニングハウ アー ユウ ディス モーニングと、私のことを気づかってくれる。
大丈夫快調ですと返すと、では飛行機の点検を、してくださいと指示された。
さあ飛行前の点検に取り掛かり、ハンドルロックをはずし、各計器類、翼の動く部分のねじの点検、胴体の点検、尾翼の点検、ガソリンタンク、燃料の量、オイル、プロペラ、タイヤ、等々の点検が完了し操縦席に乗り込む。
ヘッドセットをセットし、シィートベルトを閉め、ドアロック、キーを差込む、プロペラエリヤに人がいない事を確認しエンジン始動、プロペラが廻りだした。
手で、アクセルを調整しながら、セスナを地上で走行させる。
これが又難しい、初めての挑戦の為、真直ぐ進まない、垂直尾翼だけのペダル操作で、真直ぐ進ませる事など初めてでペンギンのよちよち歩きみたいに、セスナの頭が振れる、草むらに突っ込みそうになるが、ジョセフが修正してくれる。
やっとの思いで、テイクオフのランデングサークルまで、たどり着いたが、無線の調子が悪い。
何度呼びかけてもタワーが応答しない、メカニックを呼び修理させるが一向に回復の見込みが無い。
マイクを取替え再び挑戦したが接触不良が直らない。
何度もトライを繰りかえしたあとに、キャプテンジョセフが言う、ミスターSさん ソリー、安全の為、今日のフライトは、キャンセルしましよう。
遭えなく本日の飛行は、ラジオコミニケイション不良により17日の午後4時のフライトに持ち越さた。
朝から気合の入ったスタートだったが、あーあ、骨折り損の、くたびれもうけになりました。!!
期待が大きいだけに、がっかりも大きい、初フライトのりポートは次回に!!乞うご期待!!

いよいよ待ちに待った初フライト。

明日は5時に、起き、初めてのフライトにチャレンジする、私の人生の中での快挙であります。
幼い頃から夢にまで見た、大空に飛び立つなんて、前代未聞の出来事です。
少し興奮していて、なかなか眠れない!!
年は取ったが、気持ち的には、青春真っ只中そんな雰囲気が、戻ってきた。
本日、明日飛び立つ、について色いろな、諸注意を口頭で説明された。
むやみに左右に大きく操縦かんを動かさない!とか、ライトターン、レフトターンの時、機体がすべるので操縦かんをひきながら旋回しないと、失速する事もあるので、インストラクターの指示に従いむやみに動揺して押したり引いたりして、動かさないようにとか。
飛行前の点検についてや、改めてもう一度、計器類の見かたなどを確認した。
フラップを下げた飛行(燃料セーブ)の仕方などについての講習を受けた。
初めてのフライトで気分が悪くなり、機内に、もどしてしまった、生徒もいた、とも聞かされた。
私は、どうなるだろう?少し期待と不安が入り混じっている。
さあーあした天気になぁーれ。
人間の価値って何だろう?
世の中がグロウバルになればなるほど人の価値が決まってゆく、ハワイに住み日本で仕事をこなし、飛行機で各国をめぐる豪傑もいれば、日本でせっせと働いてお金をためて日頃のストレスを此処フィリピンで癒す人、此処で年金暮らしを楽しむ人いろんな価値観が交差する町バリバゴ、フィイルズ、いろいろなお客さんが訪れ、いろんな出会いが、(ここの店にいるとある感謝。)
しかし皆んな、(老いも若きも)いったい何を求めているのだろう?
私は思う、皆、優しさに飢えているように思われて仕方がない(私観です)。
金持ちも、権力者も、どんな人も、やがて平等に年を取り、死ぬ。
それは、仕方のないことだが、誰もが死ぬ時は優しい愛に包まれ、愛する人の見守る中で死にたいとそう思う。
そこには、お金や、打算は存在しない。
その人が、残した人生や(生き方)足跡があるだけで(肉親)妻や子供(ファミリー)。
ただ子供も作らず、女を抱いただけでは、(性欲又肉欲)得る事が出来ないものや、その人のことを心から思う親族は存在しない。
ただ単に面倒を見たから、とか、お金をあげたとかでは、それは表向きの優しさをもらっただけに過ぎない。
子供は作ったが置き去りにした人や、(ジヤピーノ問題)女を騙して遊び道具のおもちゃにしている人達には、真の、I LOVE YOU は存在しないアイ ラヴ ユア マネーである。
(旅行者が、一夜の女を金で買うのは、民間ドネイションと言い、これは別扱い、それなりにこの国に貢献している)しそれお生業としている人が、沢山いるからである。
狐と狸の化かしあい、どっちも、どっちで、おあいこゲーム!!問題にしている事ではない!!
何故なら、男も真に責任をとろうとしないラブゲームをしているに過ぎないからである。
女遊びが出来なくなったら、此処フィリピンは卒業します、と、ある初老のお客さんが話された内容の印象が強い。
しかし、此処フィリピンにやってくる層は、何処となく階層が低いと思わないか?とか質問されたり。
改めて、何故フィリピンなのか? ここは女が安い、気候が穏やか(暖かい)以外何も良い事はない。
海は、生活排水で汚れ、ただの水も無ければ、ただの空気は、少しくさい、太陽は紫外線が強すぎるので健康に悪い。
なのに、何を求めて此処にやってくるのだろう? 
本当の金持ちは、やってこないよ、こんな所には、とか
やはり此処の女は、遊びが良い、真に良い女はいない、とか、やはり相当痛い目に合い沢山の授業料を納め、させられたのだろうか?
どこか、遠くを見っめるような視線と、横顔が憂いを含んでどこか、寂しそうである。
そういえば新聞で、64歳のフィリピンでの孤独死、というタイトルで記事が出ていた。
此処にくれば、若い女と楽しい老後が出来ると、夢見る輩が多いが、決してそのように甘いものではない。
喩え、若くていい女が手に入ろうとも、そんなことでは満足は出来ない、そんなものである。
すぐの他の若い女に目が移る。
女の側から見れば、金の切れ目が、縁の切れ目と、クールでドライな処世術が有るだけで、真実の愛などは、皆無と思ってよいだろう。
金のあるうちは天国だが、金がなくなれば地獄をみる破目になる。
此処で、第二の人生をスタートするについては、男を賭け、残りの人生を賭け、自分の思いを賭けて、悪戦苦闘するのである。
そんな、生き様には、敬意を払いたいと思う、真に、人の価値とは、その人の生き様であると思う。
アメリカで生きようが、ブラジルであろうが、日本で生きようが、フィリピンであろうが、その人の持つ真の生き様がその人の、真の幸福度を表すのであろう。
USドルが安い、円が高い、危険通貨のペソが高いだの、そんな事(経済の論理)には左右されないグロウバルな人間の視点で今、精一杯頑張っていると、胸を脹れる人生にしたいものだ。


フィリピンに暮らす、こんな人間にはなりたくない(日本人観察)

一番始末に悪いタイプは、追っかけ組み日本人、全てとは言わないが思い込みが強く人の言うことや忠告を一切受け付けない。
自分中心で、女の言葉しか信用せず危険この上ない存在で、やはりだまされやすい。
根は悪くないのだが、依頼心が強く、人任せにして置いて、文句を言うだけ。
自分の反省点を棚上げし全て相手の責任にするのタイプなので、心中はいつも不平不満で一杯。
慣れや、コネクションで少し自信が付き始めると、不慣れな初心者に対しては高飛車に接することも多い。
だからだまされ、金を取られた、ほかに男がいただの、フィリピン女は信用できないなどと同胞に触回る。
けしてウソ情報ではないから、同情や慰めが集まるが、ここでの生活が長くなると、今度は自分がだます方に回る。
フィリピンは、危険がいっぱい、女は嘘つきで病気もち、一人歩きはやめましょうなどと、しごくまともそうに近づいて来る。
が、実は女を紹介しての、こずかい稼ぎ屋さん。
一人は危ないと、ガイドや案内係りをかって出るが、カラオケ店や飲食店へ客を紹介してのコミッション稼ぎ。
ちゃっかりお店に便乗し、飲み食い歌いの散在三昧、この商売やめられぬとおっしゃっている、もと追っかけのAさん。
彼にもそれなりのヒストリーがある。
結婚を約束した女に裏切られ、買った家も預金も騙し取られて放り出された経験の持ち主でもある。
(経験も使いよう)。
それから10年余り過ぎたこの頃でも、その恨みを晴らそうと何も知らない若いピナをターゲツトに
うまい話で釣り、偽装結婚で日本えの出稼斡旋をしている。
女はただ乗り専門で、紹介料まで騙し取る。
片や日本人に対してはフィリピンで一旗と、実に言葉巧みにお金になりそうな話しに飛び込んでゆく。
彼の肩書きは、コンサルタント会社の社長さん。
会社設立から不動産売り買いの仲介まで何でもござれのスーパーマン。
こんな人に、共同経営の話などされて乗ったが最後、地獄のそこまで連れて行かれそう。
くれぐれも甘い話にご用心。
私もフィリピン暮らしが長くなると要らない情報まで入りだす、しかし初心忘れずに徹する。

レストランこもごも(悲哀)

今日、突然日本人の方がマスターは見えますか?と訊ねてきた。
その方は、フレンドシップの方で、日本食レストランの料理長をされていた方で、先月の25日で
00一番というジヤパニーズレストランを辞められたそうで、仕事を探されているというのである。
当店ではあいにく仕事を提供する事はできなかったが、この辺の地域では、とうとう日本人のいる
レストランがここ1件になってしまった。
一個人として不思議に思うのは、どうして日本人の経営するお店が長続きしない?
いろんな店が、沢山出来たと聞いているし、皆さん活況だったと聞いている。
いろんな個性ある方が、挑戦されたみたいだが、いつの間にか消えてしまった、といわれる
(この辺の事情通)又、私に何故という疑問がわく?
あすわ我が身?かも知れないので、その辺がとても気になる。
まずは、1 女の為に始めると駄目になる
2 金は出しても、口も出さなし自分は働かずオーナー然としていれば店は傾く。
3 従業員に食いつぶされる、それが身内なら潰れるのが早い
4 女を信じてお金を出すが経営能力がまるで無い。
そのことが解かり、自分の金を無駄にされた事が知れると、がぜん慌てて悪あがきをする。
怒り心頭で怒り出し、ついにはそれが原因で、行方不明になるか、殺される。
そんなもんだぜ、フィリピンで仕事を始めると あーは〜は〜は〜はーと笑い飛ばされる。
いくつか、思い当たる節も無いことは無いのだが実際に経営という事になれば、笑ってもいられない。
先日当店もその洗礼に会った、従業員の不正に直面したばかりなのだ。
先日ある友人から忠告のメールをもらった。(感謝)
レストランでかならず受ける洗礼ですね。=  信じられなかったが今回納得しました!!。
これの対策は、毎日在庫チェックを行う。 = やってはいたが形だけであったと反省している。
でも、これだけでは不完全なんですね。
次のステップは、注文自体をごまかします。 
オーナー関係者が居ないときに来た客を伝票を切らずに処理。= 伝票管理にも目お光らせます。
こちらは、もろ売り上げだからきついですよぉ(汗)。 対策は・・・・
監視カメラをつける・・・USBのWEBカムで十分です。
これで、客と伝票の照合を行う。                  =早めの対策を考えます。
さらに、在庫と伝票の付け合わせを行う。
それでも、連中は、抜け道を探します。がんばってくださいね。 =自信がない?
ちなみに、雇い入れたスタッフ(特にレストラン経験者)は、必ず前のレストランンでの手口を実行するものです。
=こんな事、誰も教えてくれない、もっと早く解かっていれば、対処の仕方も有ったのだろうが!!
甘く見られたのは自分の責任。
今まで数多くのチヤレンジャーが数多くの失敗をして得た、貴重な経験をもっといろいろ知りたいと思うのは私だけだろうか。




講義の終了と同時にテストがある。

何処の勉強でも同じだと思うが、理解したかどうかのテストがある。
ここオムニの飛行学校でもこのテストは欠かせない重要な試験である。
日本人だからと手は抜いてくれない、テスト勉強が必要である、が英語が良く理解できない私は、まずどんな問題が出て、如何答えたら良いか、まずテストの問題を理解しなければならず、そこが大変で重要な課題である。
前回も書いたが、最初に取れる点数はせいぜい半数もあれば良いほうで、赤点のつく点数もしょっちゅうである。
が、テスト問題は回数を重ねるごとにだいたい見えてくるようになった。
重要な点に絞って、出てくるパターンを見つけた、これを重点的にやれば何とか及第点は取れそうである。
少し光が見え始めた、次の試験はきっと良い点を取ってみせると思えるほどになった。
が、及第点は75点以上である、もう少し勉強を重ねる為、少し時間をもらった。
もう若いクラスメイトは、さっさと乗り越えて、順調に前に進むが、私は時間をかけて取り組むことにした。
しかしフライト体験の時間が迫る。
まるっきり解からないでは、空を飛んでいる時に何か、もしトラブルに巻き込まれたら大変と慎重にならざるおえない。
ただでさえ最近、軽飛行機のトラブルが相次ぎ、新聞に、でかでかと載りびっくりさせられた。
一つはマニラのマカテイにエンジントラブルで不時着との大見出しで、ひっくりかえったセスナが第一面に写真つきで映し出されて
いて、すんでの所で大惨事、になりかけたが乗員は軽症ですんだとか。
ミンダナを付近で軽飛行機不時着、乗員に怪我はなしとの報道がたてつづけに有った。
明日はわが身と、気の引き締まる思いで新聞を読んでいる。
3月に入り又、軽飛行機の事故があった、今回は生徒のインド人1名とインストラクターのフィリピン人1名が死亡した。
やはり着陸の失敗による事故である、タッチアンドゴー 離陸、着陸、が一番難しい。
ここでもう一つ、うれしいニュ−スが入って来た、それは日本人インストラクターが飛行でも付いてくれるというのである。
フィリピンでも難しいライセンスを習得し、(フィリピンでは外国人のインストラクターはたったの4人しかいない)今回、私のために一緒に飛んでくれるという、絶頂の好機である感謝。
今後彼は、オムニの専属インストラクターとして常駐する、日本人の皆さん、今がライセンスを取る絶好の機会ですぞ!
それはさておき、筆記試験は、時間をかけて取り組むため、今回の最終テストは、頼み込んで後に回してもらった。
いよいよ初フライトに挑戦である、日程を決めてもらった、3月14日朝6時〜からフライト訓練のスタートである。
多分前日は、興奮で眠れないだろう、空から眺める景色はさぞ気持ちの良い物であろう?
などと考えているが、現実はわからない、その体験談は次回に紹介します。
3月14日の、翌日の新聞に軽飛行機の事故という見出しで、載らないよう気を付けて飛びます。


スチュウデントパイロットの免許とIDカード
スチュウデントパイロットの免許は本当は、ATOからピンクのカードで発行されるのだけれど、トップの更迭という事態を迎え混乱が一向に収まる様子が無い、その為にオムニではオリジナルのカードを発行するように手続きを取った。
写真を貼ったのは熱気球の操縦免許を利用した茶色のカードで、あまりうれしくは無いが、SPLと書いてある。
これで私も空を飛ぶ、資格が与えられたのだとすこしうれしくなった。
そしてもう一つは受験の為のIDカードである。
このカードは、オムニの学生である証明と、受験資格を有するとの証明にもなり、大切な証明書である。
1バイ1の写真6枚と2バイ2の写真2枚が必要となる。
近くのSMクラークの写真屋で、デジタルカメラで取ってもらった。
まじまじーと改めてみる自分の顔が、かなりおじいさん顔になっているのに少しがっかりした。
自分でもずいぶん年を取ったものだな〜なんて?  
ふだんはあまり自分の顔をマジマジ見たりしない。
いつも気分だけは、20代の様な気分だが、外見だけは自分の意に反してどんどん年を取る、そのギャップが口惜しい。
ある意味では、この国は若さが満ち溢れている、あまり年寄りの姿を見かけないし、大きなお腹をした妊婦や小さな子供がたくさんいる。
日本にいると年相応さが付きまとうが、この国では外国人の年寄りが、若い女の手を引き、かくしゃくとして楽しんでいる。
そんな光景や、日本のくすんだ年寄りおも若返らせる、少なくとも私の見る限りでは年寄りが元気だ、そんな何かがある国なのだ。
喩え、私達の年代になっていても、何かにチャレンジしたくなるような,何かがここにある。
一生は一度きり悔いの無い人生を楽しみましょう、果たせない夢は無いかもしれないチャレンジ有るのみ。
ナンチャッテ・・・・・
そんな事を思い考えながら、写した写真、それを持ってオムニに向かったが!!
もう1週間ATOの様子を見ましょうと言われ、少しがっかりしながら、また帰途に着いた。
そして今尚、オリジナルのピンクのカードを待っているが、1月の始めに申請したにも拘らず、3月になつても出来てこない。
そう思っていた矢先、今日になつてオムニから突然連絡が入り3月5日に発行された、とのうれしい情報がもたらされた。

コックが全員やめてしまった。

改めてフィリピン人スタッフとの付き合い方に難しさを覚えた。
長い期間働いたコックを信頼しキッチンを預けた。
しかし信頼すればするほど、管理を厳しくしないといけない事も今回覚えた。
今回の事件は私が帰国している間に起こった。
日頃から在庫の管理をしなさいと口をすっぱくするくらいに話をしていたのだがいい加減にしかやっていなかった事が解かった。
日頃から関係の無い人に頼んでやりなさいといっていた私だが、私が日本へ帰っている時に抜き打ち的に在庫の数量を(部外者に頼み)検査して貰ったという。
在庫の数と申告数が大幅に違い、責任者のコックに説明を求めたら、キッチンの全員がその場でやめてしまったというのである。
私が考えるにキッチンスタッフ全員で多分不正を働いていたのだと思う。
確かに給料は安く、抱えている家族は多い、そのため家族の食料を確保する為、在庫をくすねて、それぞれが家えもって帰っていたらしい。
その中心になったコックが、私の信頼したコックであったというのである。
確かに売り上げから仕入れをひいた、あら利が少ないとは感じていたが、まさかそこまでするとは夢にも思わなかった。
これがフィリピン人労働者の現実であろうか?
良くお店の前でガードマンが、スタッフのカバンや身体検査をする光景に出会うが、店のものを持ち出したり盗んだりしていないかどうかを検査しているという。
しかしそれがあたり前というフィリピン、と、そんな事はしないのがあたり前という日本の常識とはあまりにもかけ離れている。
そんな常識の狭間でこの事件は起きた。
あまりにも無防備すぎる自分の感覚に改めてここは外国(フィリピン)と思い知らされる結果になった。
その代償は、やめられた日の早仕舞いと、翌日の休業とと言う結果になって現れた。
私の信条とする定時に店が開き、定時に閉まり、いつでも店が開いているという安心、信頼のスタンスを早くも崩すという事態になってしまった。
これもそれも、一概に私の不徳のいたす所ろであります。
スタッフにすぐ指示を出し、新しいコックとヘルパーを雇わせ、店を再開させたまでは良かったが通常メニーュでは、出来ずずいぶん、お客様にご迷惑をおかけしたみたいでこの紙面を借りてお詫びをします。
申し訳ございませんでした。
つくづく異国で始めた商売の難しさを思い知らされております。
人を信頼するという事とは何か?信用と管理は別、信頼しても信用しても任せる事と、管理する事とは別にしないといけない。
人を信じると、裏切られるから信じないほうが良い、性善説より性悪説を取るべきであるとは、同じフィリピン人の言葉である。
あまりにも生き方が違う、こんな事で果たしてこの国で生きていけるであろうか?
早くも人間不信に落ちいった私、バカだな〜そんな事わ分かりきった事だろうに!!と友人に笑われた。
しかし頭で分かっている事と、現実に起きたことでは、その重みが違うのも経験者ならではの感覚である。
そんなことも今回初めて経験した、何度言われても懲りない自分に改めて頭の固さを感じる。
今わ新しいコック達と楽しく仕事をしているが、今回の事件を深く心に留め置こう。
こんな失敗もフィリピンならでわであろう?いつになればスタッフ達と分かり合うことが出来るのだろう。
日々努力しかないと今はそう思う!!はやく彼らの満足するような給料を払いたいものだ。

帰って来たインストラクター

その後、
意気消沈した私は、K氏に相談した***
そう落ち込まないでください、何かの資格を取る、増してやそれが外国なら、なおさら急がない事です。
あまり生真面目に考え過ぎても駄目です。
もっと気を楽にしてリラックス、元々空を飛んでみたいという希望が第一番の目的でしょ!
それなら、SPL スチュウデントパイロットでも、空は飛べますそして10時間の訓練を終えれば、一人で空を飛ぶ事もできます。
テストの点数がいくら悪くても、一応は自分の希望を達成する事ができるのではありませんか!!。
それからゆっくり、PPL の免許に挑戦すればよいだけの事です。
学科で勉強したとは思いますがSPL の有効期間は2年です時間を掛けじっくりとテスト勉強をし、同時に英語もマスターする,つもりでかかれば、それほど難しいとは思いません、慣れればワンパターンというのが解かってきます。
今回初めてのイクサムで、動揺をしてしまっただけです、心配ありません一緒に頑張りましょう。
と言われ、それもそうだ、私はリタイヤメント、これといってやる事がない、この機会にじっくり英語と取り組むのも良いかなどと思い直し、少し自分の軽率さを、反省していると少し気持ちが落ち着いた。
そしてフライトコンピュウターの扱い方を聞こうと訊ねたら、アハハハハ*******僕も忘れました???
ああーこれね、やっていれば思い出します、ちょっと待って、忘れたなんて言ってて、大丈夫ですか?
はい、もうこんな旧式な物は誰も今やっていません。
一様ベイシックな物で、色いろ設備が無く飛行機を飛ばす為に、昔し使っていた代物で基本的なことを、今勉強しているのです。
昨今では、高度なナビゲイションシステムがあるので、いちいちこんな事は、していませんが掛け算と同じで、電卓の元の成り立ちと同じことを、この計算尺を使い勉強しているのです。
いまでは,ジャンボジェット機のほうが操縦が簡単で楽な時代です、よほどセスナの方が考えようによっては操縦が難しい。
操縦席に着けばジャンボジェツトもセスナも理屈は同じです。
アメリカの9.11の様に一度操縦席に入ってしまえば手動コントロールに切り替えビルに突っ込むくらいはそんなに難しいことではありません。
飛行機では離陸や着陸が一番難しいのです。
色いろ話をした後でもう一度頑張ろうと決意を新たにした。