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| フィリピンからメリークリスマス |
騒音の中、毎年繰りかえされる年中行事、イエスの降誕クリスマス人々の声は弾んでメリークリスマス。 何処のモールも、クリスマスのプレゼントを買う人でいっぱいだ、私も始めてのクリスマスをこのフィリピンで迎えた。 ここフィリピンでは、カトリック教徒が大半を占めるというお国柄、教会も祈りの人達でいつぱいのように見える。 しかし本当の意味でのイエスの降誕を祝う民衆の姿わ見えない。 全てが、とは言いがたいが、古くスペインからもたらされた、この宗教の功罪は大きい。 国の統制や民衆の教育、植民地支配政策の一端を担って権力に従う子羊(民)達を作り 罪と罰で縛り、民衆から搾取し、今なを間違った許しと愛をこの地に満たしている。 宗教の有り方を批判しようとは思っていないが、神の真理の理解がされていないように思われる。 いや全て体制側の良いように情報操作されて曲解されている様に私には思える。 昔日本にもあった、なむあみだぶつ、と唱えればどんな罪人でも天国にいけると言われ多くの信者を得た宗教が? しかし今わ2007年を迎えようとしているにも拘らず正義はとうらず、政治は汚職まみれ、賄賂や人権侵害、挙句の果て都合の悪い人には暗殺もある。 数々の事例や、告発も多くされてはいるが事実は多く闇の中にある。 元大統領マルコス婦人も多くの刑事告発をものともせず優雅に暮らし、前大統領エストラダは不正蓄財で逮捕起訴さえているにも拘らず、大手を振って街中を歩き、現大統領は前大統領の汚職を告発し政権を奪取したのにもかかわらづ、夫や息子の汚職疑惑には答えず,自らも疑惑に手を染めている。 国民は仕方がないと諦め、体制には逆らえず、神様の手にゆだねると答える。 法の番人のはずの警察官は悪いことをした人にもいくばくかの袖の下(お金)でメリーリスマスと言い見逃す。 これは神の許し?慈愛の心?喩え人を殺しても貧しさが故の間違いで神に詫びれば許される? 教会に出向き心からの懺悔を行えば人は許される?泥棒しても、人を傷付けても、売春に人身売買何をしても同じ? 私はカトリック信者が嫌いと言う訳ではない、キリスト教が間違いと否定しているのではない。 子供にプレゼントを渡し貧しいながらも互いにプレゼントをしあう風習は大いに歓迎をする。 互いをもてなしあい、見知らぬ人にも食べ物を振舞い庭先のパーティで楽しむフィリピンの人達に敬意を表す。 しかし、許しの本当の意味や、キリストの降臨、罪びとの意味、賑やかなパーティの後、少しで良いからクリスマスの意義について考えて欲しい。 願わくばキリストがフィリピン国民の一人ひとりの心を導き、悪いことは悪いと声を上げ、不正に眼をつぶらず政治家には正義と道徳を回復させ、働き人には勤勉と健康を与え、少しでも貧困を克服し、より良い社会へ構造転換できますように祈りたい。 今日はクリスマスも終わりフィリピンのクリスマスから開放された今、こんな感想を持つた一日でした 世界中何処にいてもやってくるクリスマス、日本にいたときには考えなかつたクリスマスと言う記念日 サンタがここにやって来て、この国の未来により良いプレゼントをして欲しいものだ。 そんなサンタが現れるのを心待ちにして、寝ることにしょう。
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