日々の心模様
移りゆく心の模様を書き留めるぺえじ。 人の心は混じり合って複雑に。 ――いつかあなたも交わるでしょう――
フィリピンに暮らす、こんな人間にはなりたくない(日本人観察)

一番始末に悪いタイプは、追っかけ組み日本人、全てとは言わないが思い込みが強く人の言うことや忠告を一切受け付けない。
自分中心で、女の言葉しか信用せず危険この上ない存在で、やはりだまされやすい。
根は悪くないのだが、依頼心が強く、人任せにして置いて、文句を言うだけ。
自分の反省点を棚上げし全て相手の責任にするのタイプなので、心中はいつも不平不満で一杯。
慣れや、コネクションで少し自信が付き始めると、不慣れな初心者に対しては高飛車に接することも多い。
だからだまされ、金を取られた、ほかに男がいただの、フィリピン女は信用できないなどと同胞に触回る。
けしてウソ情報ではないから、同情や慰めが集まるが、ここでの生活が長くなると、今度は自分がだます方に回る。
フィリピンは、危険がいっぱい、女は嘘つきで病気もち、一人歩きはやめましょうなどと、しごくまともそうに近づいて来る。
が、実は女を紹介しての、こずかい稼ぎ屋さん。
一人は危ないと、ガイドや案内係りをかって出るが、カラオケ店や飲食店へ客を紹介してのコミッション稼ぎ。
ちゃっかりお店に便乗し、飲み食い歌いの散在三昧、この商売やめられぬとおっしゃっている、もと追っかけのAさん。
彼にもそれなりのヒストリーがある。
結婚を約束した女に裏切られ、買った家も預金も騙し取られて放り出された経験の持ち主でもある。
(経験も使いよう)。
それから10年余り過ぎたこの頃でも、その恨みを晴らそうと何も知らない若いピナをターゲツトに
うまい話で釣り、偽装結婚で日本えの出稼斡旋をしている。
女はただ乗り専門で、紹介料まで騙し取る。
片や日本人に対してはフィリピンで一旗と、実に言葉巧みにお金になりそうな話しに飛び込んでゆく。
彼の肩書きは、コンサルタント会社の社長さん。
会社設立から不動産売り買いの仲介まで何でもござれのスーパーマン。
こんな人に、共同経営の話などされて乗ったが最後、地獄のそこまで連れて行かれそう。
くれぐれも甘い話にご用心。
私もフィリピン暮らしが長くなると要らない情報まで入りだす、しかし初心忘れずに徹する。

レストランこもごも(悲哀)

今日、突然日本人の方がマスターは見えますか?と訊ねてきた。
その方は、フレンドシップの方で、日本食レストランの料理長をされていた方で、先月の25日で
00一番というジヤパニーズレストランを辞められたそうで、仕事を探されているというのである。
当店ではあいにく仕事を提供する事はできなかったが、この辺の地域では、とうとう日本人のいる
レストランがここ1件になってしまった。
一個人として不思議に思うのは、どうして日本人の経営するお店が長続きしない?
いろんな店が、沢山出来たと聞いているし、皆さん活況だったと聞いている。
いろんな個性ある方が、挑戦されたみたいだが、いつの間にか消えてしまった、といわれる
(この辺の事情通)又、私に何故という疑問がわく?
あすわ我が身?かも知れないので、その辺がとても気になる。
まずは、1 女の為に始めると駄目になる
2 金は出しても、口も出さなし自分は働かずオーナー然としていれば店は傾く。
3 従業員に食いつぶされる、それが身内なら潰れるのが早い
4 女を信じてお金を出すが経営能力がまるで無い。
そのことが解かり、自分の金を無駄にされた事が知れると、がぜん慌てて悪あがきをする。
怒り心頭で怒り出し、ついにはそれが原因で、行方不明になるか、殺される。
そんなもんだぜ、フィリピンで仕事を始めると あーは〜は〜は〜はーと笑い飛ばされる。
いくつか、思い当たる節も無いことは無いのだが実際に経営という事になれば、笑ってもいられない。
先日当店もその洗礼に会った、従業員の不正に直面したばかりなのだ。
先日ある友人から忠告のメールをもらった。(感謝)
レストランでかならず受ける洗礼ですね。=  信じられなかったが今回納得しました!!。
これの対策は、毎日在庫チェックを行う。 = やってはいたが形だけであったと反省している。
でも、これだけでは不完全なんですね。
次のステップは、注文自体をごまかします。 
オーナー関係者が居ないときに来た客を伝票を切らずに処理。= 伝票管理にも目お光らせます。
こちらは、もろ売り上げだからきついですよぉ(汗)。 対策は・・・・
監視カメラをつける・・・USBのWEBカムで十分です。
これで、客と伝票の照合を行う。                  =早めの対策を考えます。
さらに、在庫と伝票の付け合わせを行う。
それでも、連中は、抜け道を探します。がんばってくださいね。 =自信がない?
ちなみに、雇い入れたスタッフ(特にレストラン経験者)は、必ず前のレストランンでの手口を実行するものです。
=こんな事、誰も教えてくれない、もっと早く解かっていれば、対処の仕方も有ったのだろうが!!
甘く見られたのは自分の責任。
今まで数多くのチヤレンジャーが数多くの失敗をして得た、貴重な経験をもっといろいろ知りたいと思うのは私だけだろうか。




講義の終了と同時にテストがある。

何処の勉強でも同じだと思うが、理解したかどうかのテストがある。
ここオムニの飛行学校でもこのテストは欠かせない重要な試験である。
日本人だからと手は抜いてくれない、テスト勉強が必要である、が英語が良く理解できない私は、まずどんな問題が出て、如何答えたら良いか、まずテストの問題を理解しなければならず、そこが大変で重要な課題である。
前回も書いたが、最初に取れる点数はせいぜい半数もあれば良いほうで、赤点のつく点数もしょっちゅうである。
が、テスト問題は回数を重ねるごとにだいたい見えてくるようになった。
重要な点に絞って、出てくるパターンを見つけた、これを重点的にやれば何とか及第点は取れそうである。
少し光が見え始めた、次の試験はきっと良い点を取ってみせると思えるほどになった。
が、及第点は75点以上である、もう少し勉強を重ねる為、少し時間をもらった。
もう若いクラスメイトは、さっさと乗り越えて、順調に前に進むが、私は時間をかけて取り組むことにした。
しかしフライト体験の時間が迫る。
まるっきり解からないでは、空を飛んでいる時に何か、もしトラブルに巻き込まれたら大変と慎重にならざるおえない。
ただでさえ最近、軽飛行機のトラブルが相次ぎ、新聞に、でかでかと載りびっくりさせられた。
一つはマニラのマカテイにエンジントラブルで不時着との大見出しで、ひっくりかえったセスナが第一面に写真つきで映し出されて
いて、すんでの所で大惨事、になりかけたが乗員は軽症ですんだとか。
ミンダナを付近で軽飛行機不時着、乗員に怪我はなしとの報道がたてつづけに有った。
明日はわが身と、気の引き締まる思いで新聞を読んでいる。
3月に入り又、軽飛行機の事故があった、今回は生徒のインド人1名とインストラクターのフィリピン人1名が死亡した。
やはり着陸の失敗による事故である、タッチアンドゴー 離陸、着陸、が一番難しい。
ここでもう一つ、うれしいニュ−スが入って来た、それは日本人インストラクターが飛行でも付いてくれるというのである。
フィリピンでも難しいライセンスを習得し、(フィリピンでは外国人のインストラクターはたったの4人しかいない)今回、私のために一緒に飛んでくれるという、絶頂の好機である感謝。
今後彼は、オムニの専属インストラクターとして常駐する、日本人の皆さん、今がライセンスを取る絶好の機会ですぞ!
それはさておき、筆記試験は、時間をかけて取り組むため、今回の最終テストは、頼み込んで後に回してもらった。
いよいよ初フライトに挑戦である、日程を決めてもらった、3月14日朝6時〜からフライト訓練のスタートである。
多分前日は、興奮で眠れないだろう、空から眺める景色はさぞ気持ちの良い物であろう?
などと考えているが、現実はわからない、その体験談は次回に紹介します。
3月14日の、翌日の新聞に軽飛行機の事故という見出しで、載らないよう気を付けて飛びます。


スチュウデントパイロットの免許とIDカード
スチュウデントパイロットの免許は本当は、ATOからピンクのカードで発行されるのだけれど、トップの更迭という事態を迎え混乱が一向に収まる様子が無い、その為にオムニではオリジナルのカードを発行するように手続きを取った。
写真を貼ったのは熱気球の操縦免許を利用した茶色のカードで、あまりうれしくは無いが、SPLと書いてある。
これで私も空を飛ぶ、資格が与えられたのだとすこしうれしくなった。
そしてもう一つは受験の為のIDカードである。
このカードは、オムニの学生である証明と、受験資格を有するとの証明にもなり、大切な証明書である。
1バイ1の写真6枚と2バイ2の写真2枚が必要となる。
近くのSMクラークの写真屋で、デジタルカメラで取ってもらった。
まじまじーと改めてみる自分の顔が、かなりおじいさん顔になっているのに少しがっかりした。
自分でもずいぶん年を取ったものだな〜なんて?  
ふだんはあまり自分の顔をマジマジ見たりしない。
いつも気分だけは、20代の様な気分だが、外見だけは自分の意に反してどんどん年を取る、そのギャップが口惜しい。
ある意味では、この国は若さが満ち溢れている、あまり年寄りの姿を見かけないし、大きなお腹をした妊婦や小さな子供がたくさんいる。
日本にいると年相応さが付きまとうが、この国では外国人の年寄りが、若い女の手を引き、かくしゃくとして楽しんでいる。
そんな光景や、日本のくすんだ年寄りおも若返らせる、少なくとも私の見る限りでは年寄りが元気だ、そんな何かがある国なのだ。
喩え、私達の年代になっていても、何かにチャレンジしたくなるような,何かがここにある。
一生は一度きり悔いの無い人生を楽しみましょう、果たせない夢は無いかもしれないチャレンジ有るのみ。
ナンチャッテ・・・・・
そんな事を思い考えながら、写した写真、それを持ってオムニに向かったが!!
もう1週間ATOの様子を見ましょうと言われ、少しがっかりしながら、また帰途に着いた。
そして今尚、オリジナルのピンクのカードを待っているが、1月の始めに申請したにも拘らず、3月になつても出来てこない。
そう思っていた矢先、今日になつてオムニから突然連絡が入り3月5日に発行された、とのうれしい情報がもたらされた。

コックが全員やめてしまった。

改めてフィリピン人スタッフとの付き合い方に難しさを覚えた。
長い期間働いたコックを信頼しキッチンを預けた。
しかし信頼すればするほど、管理を厳しくしないといけない事も今回覚えた。
今回の事件は私が帰国している間に起こった。
日頃から在庫の管理をしなさいと口をすっぱくするくらいに話をしていたのだがいい加減にしかやっていなかった事が解かった。
日頃から関係の無い人に頼んでやりなさいといっていた私だが、私が日本へ帰っている時に抜き打ち的に在庫の数量を(部外者に頼み)検査して貰ったという。
在庫の数と申告数が大幅に違い、責任者のコックに説明を求めたら、キッチンの全員がその場でやめてしまったというのである。
私が考えるにキッチンスタッフ全員で多分不正を働いていたのだと思う。
確かに給料は安く、抱えている家族は多い、そのため家族の食料を確保する為、在庫をくすねて、それぞれが家えもって帰っていたらしい。
その中心になったコックが、私の信頼したコックであったというのである。
確かに売り上げから仕入れをひいた、あら利が少ないとは感じていたが、まさかそこまでするとは夢にも思わなかった。
これがフィリピン人労働者の現実であろうか?
良くお店の前でガードマンが、スタッフのカバンや身体検査をする光景に出会うが、店のものを持ち出したり盗んだりしていないかどうかを検査しているという。
しかしそれがあたり前というフィリピン、と、そんな事はしないのがあたり前という日本の常識とはあまりにもかけ離れている。
そんな常識の狭間でこの事件は起きた。
あまりにも無防備すぎる自分の感覚に改めてここは外国(フィリピン)と思い知らされる結果になった。
その代償は、やめられた日の早仕舞いと、翌日の休業とと言う結果になって現れた。
私の信条とする定時に店が開き、定時に閉まり、いつでも店が開いているという安心、信頼のスタンスを早くも崩すという事態になってしまった。
これもそれも、一概に私の不徳のいたす所ろであります。
スタッフにすぐ指示を出し、新しいコックとヘルパーを雇わせ、店を再開させたまでは良かったが通常メニーュでは、出来ずずいぶん、お客様にご迷惑をおかけしたみたいでこの紙面を借りてお詫びをします。
申し訳ございませんでした。
つくづく異国で始めた商売の難しさを思い知らされております。
人を信頼するという事とは何か?信用と管理は別、信頼しても信用しても任せる事と、管理する事とは別にしないといけない。
人を信じると、裏切られるから信じないほうが良い、性善説より性悪説を取るべきであるとは、同じフィリピン人の言葉である。
あまりにも生き方が違う、こんな事で果たしてこの国で生きていけるであろうか?
早くも人間不信に落ちいった私、バカだな〜そんな事わ分かりきった事だろうに!!と友人に笑われた。
しかし頭で分かっている事と、現実に起きたことでは、その重みが違うのも経験者ならではの感覚である。
そんなことも今回初めて経験した、何度言われても懲りない自分に改めて頭の固さを感じる。
今わ新しいコック達と楽しく仕事をしているが、今回の事件を深く心に留め置こう。
こんな失敗もフィリピンならでわであろう?いつになればスタッフ達と分かり合うことが出来るのだろう。
日々努力しかないと今はそう思う!!はやく彼らの満足するような給料を払いたいものだ。